発話を目的にしない場面緘黙の治療はあり得ない

丹明彦先生 場面緘黙研修会にて

豊富な知識と経験に裏付けされて絞り込まれた世界を共有させていただいた、あっという間のお時間でした。おそらくは二日半くらいの研修時間を要する内容と感じましたので、繰り返し読み込んで学びあいつつ実践できることを始めていこうと思いました。

来年ご出版予定の内容を特別にご教示いただきましたので、ここでお伝えすることはできませんが、先生が折々に強調されていた、「場面緘黙の考え方の誤り」「心理職のかかわりの誤り」を挙げておきたいと思います。

〇発話を目的にしない場面緘黙の治療はあり得ません

〇改善できる方法があるのにそれを知らなかったり行わなかったら?専門家としてのコンプライアンスが問われます。

〇場面緘黙は、学校で起こっているからと言って、学校内で行う支援がメインではありません。外来の個人心理療法の場で行うクリニカルな支援が世界的スタンダードです。

〇まずはクリニカルな場で心理療法がおこなえる立場にある臨床心理士・臨床心理学を専攻する公認心理師が改善メソッドを覚えましょう。

(この)子どもたちは”心理の先生”が(しばしば)嫌い(苦手)  

その理由…納得です もちろん全員がそうなわけではないし ケースバイケースではありますが
つらいよねえ~~  そうだったんだねえ~~~   そうなのお~~?
みたいな「ねっとりと」した質感 「わかるよ~」みたいな距離を詰めてきそうな空気
これは怖いです  大人でも苦手という方はいますね

子どもたちは淡々と接する人が好き

さっぱりとしたあたたかさというのでしょうか
しっかりと宣言し、支援していく、不安を理解しながらも「大丈夫、一緒にやっていけば」という確信を持った態度を示す  
「そう、ドキドキするよね でも君ならできる!」という確信に満ちた態度
先生が何度も「この通り、これをやれば大丈夫」と私たちにおっしゃっていたように。

そのためには状態についての解説、心理教育ができる必要があります

これは 摂食障害 こどもの排泄の問題 いずれに取り組むにあたっても同様です
上記のような「ねっとり」と「ふわっと」が”カウンセリング”の偏ったイメージともいえるかもしれませんし、それが良いことだと(技法だと)勘違いしてそこにとどまっていたり・・・じゃダメです。
「やさしそう」とか  「話しやすい」とか  「話してると楽しい」とか 
そこにとどまって何の臨床的な見立ても具体的な支援もない不毛な面談が続く・・・実は学校のように期限のある環境のみでの臨床はその問題に直面せずに済んでしまうことは少なくないように思います。無力感に向き合わずに済んでしまうというか‥。

ゆるふわで癒される ことは心の体験としてもちろんあるのでしょうし、必要な時もあるでしょう。
でもそれをするのは臨床家でなくてよいはずです。逆を言えば ゆるふわ や ねっとり がスキルの一部として使いこなせるようであればそれはよいでしょう。しかしだいぶ高度な技術になりそうです。

こういうのはもうやめましょう 

「いつか安心して 食べられる/ウンチできる/話せる ようになったらいいですね(にっこり)」「それじゃまた」

 そのためにこうしていきましょう! がそのあとに言えるように学習しましょう

先生のお話は
van der Kolk , ポリヴェーガル理論、神経エクササイズ(浅井)、そして 脱fusion、エリクソニアンアプローチ そのほか これらの知識を有していることを当然の前提としてのものでした。統合的に常に修正を重ねていらっしゃることを感じました。来年ご予定の先生のご著書の出版を前に、関心を持たれた臨床家の皆さんにはこうしたテーマのおさらいをお勧めしたいと思います

知っている相手に 知っている場所で 挨拶をする は一番難しい

「あいさつくらいは」「お礼くらいは」がどれだけ親子を追い詰めて、症状を悪化、固定化してきたか。これはすべての関係者・保護者にすぐにでも共有して、世間的にも「常識」にしなければならないことですね。それは誰にでもいますぐできる「支援」ではないでしょうか。

トラウマとソマティックなアプローチの基本的な考え方や方法は、服部信子さんのコミュニティ・レジリエンシー・モデル(コレモ)の無料公開部分からでも多くを学べます。