「とりあえずWISC」の諸問題:誰のため?何のため?
心理検査
2025.04.06
とりわけ場面緘黙、そしてそのほかの諸要因の無視について
「とりあえずWISC」と入力して検索してみたら、「場面かんもく相談室:いちりづか」さんのホームページが出てきました。
室長の高木潤野さんは東京学芸大学のご出身ということで、丹明彦先生とご一緒ですね。
さて場面緘黙と知能検査を巡る問題は昔々からありますが、それでもそれは就学時検診のときに再検査になって…ということが大半でした。そして知的障害といわれてしまうことももちろん当時からありました。
最近はさらにこのことが顕著になっていますね。高木さんはこの記事の中で、
「専門家ではない人が知能検査にかかわる機会が急増した」こと
「知能検査について専門的に学んだことがない人が、検査の結果を扱うようになった」
ことが背景にあって生じている と書いておられます。
「とりあえずWISC」「場面緘黙の子に知能検査」の問題をいろいろな視点から考える
加えて
〇検査が安易に行われるようになった背景
〇どのような経過で場面緘黙のお子さんに実施され、不適切な結果に至るのか
など 詳しく解説されています。
” どうしてこういうことが起きてしまうかというと、「知能検査」への理解が足りないからです。
場面緘黙と知能検査を巡るいろいろな問題 より
このケースでは、検査を勧めた窓口の担当者と検査を行った心理職の両方に問題があります。
心理職は資格のある専門家なのですから、この問題のおかしさに気づけなければいけません。
そして「おかしい」と感じたら、適切な対応を行うことが求められます。”
まずは「おかしい」と感じなければ専門家として「おかしい」
次に「おかしい」と感じることができていても、「だって要望されたから、指示されたからしょうがないじゃん」と考えて検査を実施していているなら、それも専門家として「おかしい」・・・ですよね
リクエストをされたら、その主旨(目的)に適う方法は何かということを考え、それを提案するべきでしょう。
たとえばWISCをと言われても、まずは情報収集をしますね でもいいでしょう。
そうすれば 学業成績はトップの子どもの算出されたIQが60なんてことは起きないでしょう。(起きないでしょう というか そこで疑問をもたないことがどうかということですね)
Testing Behavior を視野に入れない実施と評価が少なくないです。
知能検査は身長や体重よりも、視力や聴力検査、運動能力や歌のテストと考えたほうが良いですね。

疲労、緊張、不安、こだわり、集中力、反発・・・さまざまな身体条件、テスターや状況に対する認識・協力するきもち、失敗への過敏さ などが大きな影響を与えます。

無理やり一回で終わらせようとして、後半受験者が早く終わらせようとした形跡がありありとみてとれるようなものもありますね。早く帰りたがって明らかに雑に反応している子どもに、「一回で終わらせる」ことにそんなにこだわってなにか得られるものがあるのかどうか…。
疑問に思って(学習効果を考慮に入れつつ)再度一部を実施してみると評価点が5から12に・・などということもありました。
間違うことへの抵抗(不安)が強く、すぐに「わからない」と言ってしまう場合、(手引きにはないので正しくないやり方といわれるでしょうけれども)「もしかしてこうかなあ・・・って間違っていても全然いいのでもしかしたら・・・って思っていることあったら答えてみてもらえるかな」と声をかけてみると、なんと「わからない」のままなら低得点だったものが、高得点に・・・ということも少なくありません。
また下位検査同士の関連を考察していない、そこには高次脳機能(神経心理学)に関する知識が不可欠ですが、その観点もしばしば欠落しているように思います。WISC(WAIS)はこのアセスメントに非常に適した検査であるのに、です。
いっぽう知的障害のあるお子さんのアセスメントとしてはWISCは使いにくいものです。むしろ現実的な学習に近い文章理解の力や計算、日常に用いる概念など、生活していく上での能力を見るのにはBinetが適しています。学習の課題も見つけやすいのではないかと思います。
就学前にWISC実施をしているところもあるようですが、たったひとつの正誤で評価点が大きく変わる面がありますので、適しているとはいいがたいと考えています。
またWISCの特性として下位検査を途中でやめることはできません。やけくそのような反応になっているとわかっても、最後までやるしかありません。そこでは「わからなくなってくるとなげやりになった」という所見は得られますが、それをスコアリングするか、採点不能とするか、ここも実はテスターに任されていますね。
申し送りの書類に数字だけが書かれてくることに問題を感じるのはこういう背景もあります。
”「WISCではFSIQ75だったのに、田中ビネーではIQ90だった」
「知能検査は何を測っているのか?」より知能検査の「個性」
ということも起こり得ます。
その違いが生じる理由は「その検査ではかろうとしているものが違うから」です。
(中略)
知的障害のある子に使うなら、WISCよりも田中ビネーのほうが向いているでしょう。
このように知能検査によって、得意不得意があります。
きちんとして専門家は、このような「知能検査の個性」を理解して使い分けをします。
(ですので「とりあえずWISC]というような使い方は、まともな専門家は絶対にしません。)”
場面緘黙に限らず、大人も含めて「とりあえずWISC(WAIS)」という現状は
近い将来、笑い話、いや対象者のことを考えれば、Wechslerの強調しているその限界性の無視という現状と考えれば、心理職の専門性という観点から言えば、黒歴史 になるか。

無批判であるということは、無知でないならば無自覚?風にそよぐ葦?
指示した人、要望した人のせいにしないでキチンと主張していきましょう。
仕方ないとやり過ごすしかないこともそりゃあ数限りなくありでしょうけれども、「自分のほうが専門家だ」ということには胸を張って主張しましょう。
ただし、ただ「やりません」「できません」ではなく、論理的に正しくないこと、意味をなさないこと、ときに倫理的にも問題であること など相手に意を尽くして理解を求めるようにしましょう。
そのためには「説明できる」ことが必要です。
それを考えること自体がまた力になるででしょう。
以下を読むべきであるようです。
以前Aさんから提案されていたのに尻込みしてスミマセンでした(__)
お持ちの方いらしたら・・・・あ、複写はだめですね!著作権、知的財産権を勉強したばかりでした💦
Wechsler, D. (1975). Intelligence defined and undefined: A relativistic appraisal.
“Abstract
Discusses various opinions on the nature and meaning of intelligence. It is argued that intelligence is a multifaceted entity, a product of many factors and subject to innumerable influences; if defined in terms of capability, it is not a single capacity but “a complex of many abilities.” The psychological reference systems and the conditions and constraints that make possible a consistent definition of intelligence are discussed. (PsycINFO Database Record (c) 2016 APA, all rights reserved)
Wechsler, D. (1975). Intelligence defined and undefined: A relativistic appraisal. American Psychologist, 30(2), 135ー139.