「多重人格」「性同一性障害」「自傷」:思春期の訴えの変遷を考える
心理・精神科臨床
2024.11.04
「トランスジェンダーになりたい少女たち」を読む
「あの子もトランスジェンダーになった」というタイトルでKADOKAWAから出版予定だった本書が直前で発売中止となり、タイトルを変更して3か月後に産経新聞出版から発刊されています。
副題として「SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇」。
原題は 「IRREVERSIBLE DAMAGE:The Transgender Craze Seducing Our Daughters」(”元には戻れない損傷:少女たちをそそのかすトランスジェンダーの熱狂的流行”といった意味です)著者の立場や専門、なぜ発売中止とKADOKAWAの謝罪にまで至ったか、そしてこうして出版されたか、についても本書を読むことで理解できるでしょう。
監訳は昭和大学烏山病院長で発達障害の外来などを先駆的に行ってこられた、精神科医の岩波明先生が行っています。
タイトルを検索すると、たくさんの様々な立場からの論考も読めますのでそれらも目を通してみるとよいでしょう。
生徒から「自分は性同一性障害だ」と突然(つまり保護者にとってもなんら連続性なく)”告白”され、生徒が胸に包帯を巻いてきた、とか、手術したい、胸を切りたい、診断を受けたい、と言っている、という話を、本人から直接、あるいはその保護者や教員から、相談された心理職(特にスクールカウンセラー)は数多くいらっしゃるでしょう。それに理解を示し、ともに行動しない親は「毒親」として攻撃されたりしてしまうことも少なくなかったように思います。
このような「相談」にどのようなスタンスで向かい合ってきたでしょうか。
すぐに医療に問い合わせたり、「専門家」を紹介したり、親御さんを呼んで理解するよう勧めたり・・していたでしょうか?体のことだから、と養護教諭に任せたとか?
10年ほど前はこうしたエピソードは「多重人格」であることが多く、そのあと3,4年前まであたりがこちら「性同一性障害」の訴えがピークであった印象ですが、現在も皆無ではありません。「自傷」は以前から軍隊や寮などの閉鎖的な若者集団での発生が生じてきていたことが知られています。現在はそのひろがりには現代的な要素、つまりインターネットの影響を受け、あっというまにグローバルな発生となり、そして変動がありながらも増え続けているようです。日本では「南条あや」がその大きな起点でしょうか。
「自分を毀損する行為」ということについてはリストカットだけではなく(それが珍しいことではなくなってしまったから、でなければよいのですが・・)、いわゆる過量服薬・飛び降り がここ2,3年は増えていないでしょうか。Self Harmが知られ、増えるにつれ、その行為内容の危険度、「取り返しのつかなさ」が増しているといえます。
思春期は、しばしば自分を生きることに混乱し、しばしば自己否定が強く、それまでにはかんじたたことのない抑うつや悲しみにとらわれている、苦悩に満ちた「疾風怒濤の時代」であることは間違いのないことです。そして危険を恐れない行動をとりやすくなることは、脳科学からもわかっています。
ですから 彼らの訴えるところを「軽んじていい」と言っているのではないのです。
むしろ 表面的なその訴えの「素材(テーマ・内容)」を雑に、画一的に扱っては過ちを犯すのでは?ということを申し上げたいです。
この「雑」とは、相手にするなとか、軽んじていい ではないのです。むしろこの年齢の人たちの苦悩をより理解し、その「こころ」を知ろうとすることから、が抜け落ちていないかが気になります。
「自傷したら即医療」という傾向も「SOSに応えた」のではなく、「見捨てた(られた)」体験になっているときはないでしょうか。
「〇〇って訴えているがどうしたらいいでしょう」と困惑して助言を求められることがあります。
このとき「〇〇の相談なら▽▽に紹介すればいいんじゃない?」となっていないでしょうか。
いつもしていることは「もっとよく、きちんと、丁寧に聴いて」という助言です。
トランスジェンダーのひとの「デトランス」(もとの性に戻すこと)する方も日本でもいらっしゃいますね。性別違和があったとしても「女性であることを受け入れられない」ことが「男性というもう一方の性になる」ことに直結するわけではないわけです。いや、それより「もどす」という言い方が不適切ですね。「元には戻らない」のです。
本書にはアメリカではこの恐るべき事態に「心理カウンセラー」(もちろんアメリカなので日本とは比較にならないほどの超専門家)が関与していることも描かれています。
「多重人格(解離性障害)」は存在するし、
トランスジェンダーになったことでご自身が生涯自分らしく生きられるようになった方も存在する、
自分を傷つける行為によってようやく生き延びている人も存在する、
なにもかも捨てるほど追いつめられる人もたくさん存在する
だけど すべてを同じように「そうなんですね、わかりました」「つらかったですね いままでよくがんばりましたね」「もう無理しなくていいんですよ」が侵す間違いも同時に抑えておかなければならない、ということでしょう。
緘黙の研修でも教えていただいたことですが
「理解ある風」という一見好ましい態度の罪 についてここでも意識をしておく必要があることを感じました。
オンライン上で、どんなブログを見ているか、あるいは書いているか、コミュニティに参加しているのか、自身の動画や写真をネット上に挙げていないか、時には販売していないか・・・。
” (前略)思春期になってからトランスジェンダーを自認した十代の女子のうち、明らかに過半数(63.5パーセント)が、長い期間にわたってSNSに熱中したあと、”突然”自分はトランスジェンダーだと言い出しているということ。”
本書 p58
本書でのHelenaへのインタビュー
” ヘレナはサイトにくぎ付けになった。
278
「そうした自傷ブログは単なる落ち込んだティーンエイジャーのオンライン日記ではなく、心の病がアイデンティティになった、とても盛んなコミュニティでした。アイデンティティはまさにヘレナが探し求めていたものであり、犠牲者のアイデンティティという点がヘレネの精神状態にあったのだ ”
p275
”すると、魔法のようなことが起こった。ヘレナがTumblrで”カミングアウト”すると、フォロワー数が急増したのだ。ネット上の”友人”たちはヘレナのカミングアウトの決断と”すてき”な新しいな名前について熱く語った”
p278
ここでいう「アイデンティティ」は「生きづらさの答え」とでも言い換えられるでしょうか、そのことに賞賛を得て、所属感を得る仕組みが存在するのです。
ここにはTumblrというブログ型SNSの仕組みの問題点が深くかかわっているようです。このことについてはHelenaが、<Tumblrがどのように特にティーンに強く影響を与えて熱中させる仕組みがあるか>を説明している寄稿があります。
How mental illness becomes identity(2019)
「どのようにして”心の病”が自分のアイデンティティになるか」
” Introverted, angst-ridden, struggling adolescents across the globe are now faced with the risk of becoming inundated with content from self-harm blogs, pro-anorexia blogs, social-justice blogs that encourage self-diagnosis of mental illness, the use of mental illness as social currency, and gender identity ideology that is even more logically flawed and emotionally driven than in the mainstream. ”
” These self-harm blogs were not simply the online diaries of depressed teenagers, but a thriving community in which mental illness became identity. The images, and the captions that accompany them, often reinforced depressive ruminations, such as: No one cares about the self harmer, the self harmer will be depressed forever, and suicide and self harm are justifiable ways of coping with negative emotions. It is this way of thinking, this immersion in depressive thought, and the resentment and alienation that results from suffocating yourself in this maladaptive coping mechanism on a constant basis, that paved the way for later subgroups surrounding mental illness.”
上記より
こうした巨大な影響力を持つコミュニティのリスクは大きく取り上げられることがありません。差別主義者と糾弾されたり、そこまでいかずとも「理解の乏しい思いやりのない素人」とされることの怖れがあり、当事者以外は発言しにくさが存在してしまうから、ということも書籍から。
ここで「プロアノ(pro-anorexia)」についても語られていますし、本書にも出てきますが、摂食障害(神経性やせ症)、自傷、トランスジェンダー、”こころの病”がそうした「価値」を持ち、そのようなティーンを賞賛し、かつ「周囲がちゃんと信じるための方法」「周囲をだましおおせるための方法」を教示してそそのかし、「そうではない人たち」を貶めている仕組み、そうしたコミュニティが存在することをまずは知らなければならないでしょう。
むしろ、こうしたことを知っていてこそ、「真に 性的な自認や志向への苦悩 摂食障害の危険 自己を毀損せざるを得ない苦痛」の中にいる存在のSOSへの敏感さが養われるともいえるのではないでしょうか。
思春期や青年期の苦悩に「名前がつかない」ことも苦しみのひとつでしょう。
ヨシタケシンスケさんが「名づけようもないしんどさ」ということばを使っておられましたね(朝日新聞 2024.11.4朝刊)「原因を探して解決すれば治る」みたいなことではないもの(のほうが多い)。
SNSやYouTubeで寄せられる、賞賛や激励のコメントにも同様に相手の隠れた動機や欲望(犯罪的なことも含め)が明らかと感じるものが数多くあります。そして配信している本人はそうしたことに気づいていないであろうことも。
具体的な例は控えますが、たとえば「〇〇フェチ」や児童ポルノに関連して、好意的なコメントを装ったリクエストをする、などです。こどものYoutuberや保護者がそうした動機を知らずに嬉々として答え、登録者や閲覧数を伸ばしていることにまい進する‥。
朝井リョウの「正欲」をぜひ読んでください。そうした仕組み、リスクも描かれています。
映画化されていますが、おそらくは心に残るポイントが違う形になっているかなあ・・・・わからないが。(個人的には松下洸平と土居志央梨とかだとよかったなあ・)
書籍でどうぞ。同じく朝井リョウの「死にがいを求めて生きているの」もまだでしたら是非。「現代におけるアイデンティティという魔物」にとらわれた思春期と青年期の何かに追われているような日々・・上記でお伝えしてきたこと、ご紹介してきたこと、すべてにつながっています。