「不登校の”要因”」児童生徒・保護者と教員の認識の大きなずれ…行為者観察者バイアスから考える

文科省委託調査(2023年)結果から明らかに

子どもの発達化学研究所による
「文部科学省委託事業 不登校の要因分析に関する調査研究」
2024年3月22日発表され、多くの報道もありました。

調査結果報告書、概要のPDFもありますので是非読んでいただきたいと思います。大きく取り上げられたのはこの部分です。


大きな相違があった項目:

「いじめ被害」「教職員への反抗・反発」「教職員からの叱責」を要因と考える割合
⇒児童生徒と保護者 は 教職員の6~8倍

「体調不良」「不安・抑うつ」を要因と考える割合
児童生徒と保護者 は 教職員の3倍強

これに関連して時代が逆行したかのような「不登校」理解が復活しているとの危機について榊原洋一先生が記事を書いておられたので合わせてお読みください。

「何か変だよ、日本の教育(6)不登校をめぐって ⓵」
「何か変だよ、日本の教育(7)不登校をめぐって ⓶」

このことをどのように考えていくのが良いでしょう。
ここで『学校は自分の側の問題を過小評価している」とか
「児童生徒や家族は学校のせいにしがちだ」とか言いたいわけではありません

このようなずれのひとつの要因として行為者ー観察者バイアスの視点を取り入れてはどうでしょう。
この視点をひごろから理解していることが、物事を見る目の曇りを和らげ、謙虚さと寛容をもって歩み寄れるヒントではないか・・と考えてみました。単純にご宣託のように「○〇が原因」と言い切る人をあがめたり、たかだか数種類のラベルを張って満足するような「ケース理解」もやめにして。

何らかの事態の理由を 当事者は 不可抗力 とか現実的な背景要因を妥当なことと思いますが
他者は 性格や意図 などそのひとの資質に帰しやすい 
上の図で言えば 本人は「渋滞して…」 他者は「もっと早く出ていればいいんじゃ・・・」といった感じです。

自分はその人本人ではないので、そのひとにしか感じられないこと、見たこと聞いたことは共有できていないわけです。そのずれによって生じてくることであって、自然な心理的な傾向です。
そのようなことが誰にでも様々な場面において生じやすい ということを理解しておくということがこの「ずれ」を考えていくときには大切にしておきたいと思っています。

この不登校の要因に関する意識調査はそのことを改めて教えてくれているようにも思います。

どちらが間違っているとかではなく かつ どちらかを価値下げしたり糾弾したりするのではなく
他者にはどう感じられてどう見えているのか その主観的な世界のずれ をまず認め合うことが必要なのではと 争いの絶えない今日この頃、あらためて感じています。