場面緘黙(社会不安)とトイレ
場面緘黙子どもの排泄
2024.01.02
はやしみこ さん「どうしたらいい?場面緘黙」学校のトイレに行けません をご紹介します
話をする、声を出す ということにのみ注目されがちな「緘黙」ですが、動くこと(運動する、歩く、絵を描く、食べるなど)が広範囲に難しいこともあります。緘動(まったく動けない もしくはかなり緩慢)のあるお子さんであれば、「トイレに行けていないのでは?」と気づいていただけることも比較的容易でしょう。
いっぽう、行動(動き)が比較的スムーズな場合、そしてトイレに行くこと(あるいは行けたとしても排泄すること)の難しさを併せ持っていることには気づかれていないことがあるようです。
学年が上がって学校の滞在時間が長くなると学校で失禁してしまうリスクは上がります。それが不登校のきっかけになることもありますし、膀胱炎を繰り返しているケースもあります。もちろん便秘にもつながります。
トイレに行きたくならないよう、猛暑でも水分をとらないようにしているお子さんには熱中症も心配されます。
ご本人に尋ねても自分でもうまく説明できないことが多いです。
またたとえ「本当の理由」を言ったとしても「そんなことで」とか「そんなこと気にしてたら‥」と言われてしまうので、結局だんだん言わなくなってしまうということもあったりします。
そうしたことを経て、何度も叱責されたり、繰り返し問い詰められて、場当たり的に理由を答えてしまうことも(自分を守るための必死の行動なのですが)少なくないように思います。そのことでさらに「嘘つき」「まじめに考えていない」などと叱られてしまい、こじれてしまっていることもみられます。
ご本人は本当はどんなにか困って焦ってひやひやして過ごしていることでしょう。
また、トイレに行っていないことに気付いていただけたとして、学校で”排泄できるか”は別問題です。つまりトイレに行くことを促されたり、連れていっていただいたからと言って、そこで排泄ができるとは限りません ということです。また、他の児童と休み時間にトイレに行って個室に入っているが、実は排泄はできていなかったという場合もあります。
「なぜ」と「どうしてみるとよさそうか」はひとりひとり本当に違います。
説明が苦手とわかっているのに「ちゃんと説明して!」と子どもに向かっていわずに済むには、こちらにたくさんの仮説があって、それに対してまたたくさんの対応のアイディアがあることがだいじですよね。
尋ねるほうのわたしたちには
「あなたはどうかわからないけど、こういうことでなぜだかトイレにいけないっていうことが多いみたいなんだよね」という<たぶんこうじゃないかなリスト> があるとよいでしょう。
このリストのように、本当に「なぜ」の理由はこれで足りないくらい考えられますし、一人一人違うのです。
それではどうしたらいいでしょう?
社会不安のお子さんだけでなく、何らかの”こだわり”があって学校のトイレの利用が難しいお子さんはいます。条件がかなえば(学校の許可がいりますが‥)ご家族の送迎で自宅で済ませたり、学校近くのお店でなら可能なこともあったりします。
「そんなことで(甘やかして)いいんですか?!」と言われることもありますが、まずは一日中トイレに入ら(れ)ない、ということの解決を優先させましょう。永久にそうしましょうと言っているわけではありません。(よくいわれますよね~~こういう提案をすると「嫌なことも頑張る力をつけさせなくていいんですか!?」・・とか。誰もそんなこといってません。)
(こういう反論ってよく出会いますが、話題の(?)論破王とか呼ばれているH氏の反応を想起してしまいます。極端化して貶めるやり方ですね)
いずれできるようになるために、取り返しのつかない害を与えない、本人とご家族の勇気と自信につながっていく方法を提案しているのです。
はやしみこ さんは
「どうして声が出ないの?」
「なっちゃんの声 学校で話せないこどもたちの理解のために」の作者さんです。
このたび当コラムへの転載をご快諾いただきました。
あらためて心より御礼申し上げます。
場面緘黙の子どもたちは「どうして〇〇しないの?!」と「話さない」こと以外でも何度も何度も尋ねられ続けます。
そして何度も「〇〇くらいできるでしょ!」と言われます。
”トイレくらい行けるでしょ!”
”おはようくらい言えるでしょ!”
そうすることでますますその場面や物事はスムーズにはできなくなっていきます。
「どうして〇〇できないの?」
「〇〇くらいでできるでしょ」
「できるようにならないと将来〇〇だよ」
その言葉が場面緘黙をさらに強めてしまっています。
たいせつなことは「きめつけない」ということではないかと思います。
羞恥心がないとか めんどくさがっているんだろうとか 反抗的とか 強情だとか… 自分にとってわかりやすい解釈と、そこから生み出された対応という名の乱暴なアイディア・・・<トイレに引っ張っていかれて、下着も脱がせて座らせられて、アナタがおしっこするまでここを動きません・・>とかって。支援じゃなくて虐待ですよね。・・・インターネットの時代になって、緘黙の方たちが体験してきたことがたくさん語られるようになってきました。だからこそたくさんのヒントに出会えます。
はやしみこさんのこうした絵本に触れたり、当事者の方たちの声を聴いて、「仮説」(仮の理解と手だて)を豊かに、たしかなものにすることが求められるでしょう。支援をする側はそのひとりひとりの「物語」を丁寧に聴いていくことで多くを学べ、たくさんの「仮説」をプレゼントしていただき、それをまたほかのお子さんにお返ししていけます。
こういうことこそ「専門家」冥利に尽きることではないかと思うのです。