11/18うんちweek2023フォーラム

「排泄から子供のからだを考えよう」

11月10日(いいトイレの日)~11月19日(国連・世界トイレの日)にあわせた開催。多彩な領域の専門家のお話が聞けるフォーラムです。

案内から 

「日本トイレ研究所による0~3歳児の保護者へのアンケート調査では、子どもの排便に関して困りごとを抱えている割合は53.7%で、最も多いのは「おむつが外れない」、次は「便秘」でした。本フォーラムは、子どもの健康的な排泄習慣を育むために、保育・教育、医療、政策の立場からトイレ・排泄の大切さや課題について専門家と考えます。」

オンラインでの参加ができます。詳しくはこちら

NPO日本トイレ研究所 のホームページにはたくさんのお役立ち情報が。


「子どものための排便相談室」
便秘Q&A や 医師へのインタビュー などがあります。

「すっきりうんちBOOK」 
ダウンロードできます。
子どもと一緒に読んで。学校や園で配布するのはいかがでしょう。

「子どもの便秘は、悪化を防ぐためにも早めの対応が大切です。そこで、便秘に関する正しい知識とQ&Aなどを盛り込んだ「すっきりうんちBOOK(本冊子)」をつくりました。子どもたちの排便の悩み解消に少しでもお役に立つことが出来れば幸いです。」

ちょっと見えにくいですね。
タイトルは「便秘で困っている子どもたちへ」 
吹き出し部分は
「便秘がひどくて排便にとても苦しみます…」
「浣腸をずっと使っても大丈夫?」
「便を漏らしてしまいます」
「排便時に少し出血します」
「食べ物で便秘は治りますか?」
と書いてあります。

ここからは 便秘とも関連が深い夜尿のこと。

便秘が夜尿の原因に?」について こちらのコラムをどうぞ。

先日 耳にしたお話(ご意見)ふたつ。

?1「夜尿は自然に治ることが多く、中学生以降まで続くケースはまれ」
 「だから無理に治療やとりくみをして意識させなくともよい」

?2「夜尿が悪いことであると思わせないことも大事」
 「治療することで恥や罪悪感をもたせることになる」

当市出身の政治評論家 佐高 信(まこと)さんが地元紙で、中学生になっても夜尿があったと書いておられました。かの舌鋒の鋭さとこうした率直さが共存されているところにお人柄の深さを感じます。
(ご自身で書かれているので個人情報の暴露じゃないですよ。)「あの立派な方ですら‥」というようなエピソードとしては、夜尿のある子ども(ご家族)の励みにところはもちろんあるかもしれませんね。口さがないお小言が止まらないご親族がいらしたら、それはいいかもしれません。

佐高 信氏 東北公益文科大学ホームページより


だからといって佐高さんは治療しなくてもいいなどおっしゃっているわけではありませんし、治療不要の理由づけに使われてしまうのは心外なことではないかと勝手ながら推察します。「情けないとか もう一生だめだ など思う必要はない」「大人だって”いろいろあった子供時代”を生き延びてきているのだ」と伝えてくださっているのではないでしょうか。

1と2 への 反 論
1 まれ だからといってないわけではない。高校を過ぎても夜尿が続いてしまっているケースもあります。また今の成人には「まれ」だったとしても、今の子どもが成人になったときにどうなっているかはわからない ですね。
そもそも自然に任せていることの利点がどこにあるでしょうか?

2 こちらは「治療することのマイナス」を述べていることになりますが、ポイントは「本人はどう思っているでしょうか?」「それは本人に聞いて決めることでしょう」です。
そして 語られた言葉が、心底そう思っているのか、強がりや反発からの言葉ではないか も慎重に。


夜尿を責めたり辱めたりすることはもちろんあってはならないことです。
しかし
自ら感じる恥辱や自己否定、罪悪感、同級生に知られるのではないかという恐怖 などが
あるとしたら、いや、多くの場合あります。あるのが自然でしょう。
(まれに羞恥心を感じにくい傾向が顕著ということもないわけではありませんが)
多くの場合は「平気を装う」虚勢を張ってやたらと「どうでもいい」というような言動を示したりしていると感じます。その態度のありようが過剰な攻撃性や投げやりな性格と誤解されて、「治す気がない」など、本当の苦悩を理解されないままでいることもあるのではないでしょうか。

そして「本当のきもち」というのは ひとつではないし 変わります。
「もうどうでもいい けど 何とかしたいとも思う」
「助けてほしい けど 困っていると思われたくない」
「ちょっと前までは面倒だと持ってたけど、いまは何とかできたらと思うようになった」というように。

言葉の一部だけを切り取ったり 強がりの言葉を真に受けたり 一度の答えを不変と決めつけたり
そんなことが起こっていると「本当」にはコンタクトできません。

「どんな風に治療をして(とりくんで)変化したか」のその過程が誇らしいものになるようにかかわることができればよいのではないでしょうか。ポイントは、「失敗しなかった日を褒める」のではなく(記録上は〇はしますが)、<面倒なのに取り組んでいる><ちょっと取り組まない日が続いたけど、また始めることができた>といった行動をみる、<自分の食事を観察して気づいたことがあった>というような本人も「やった!」と感じることを十分に生かす といったやりとりのある関係性でしょう。

そういうプロセスは末永くご本人のリソースになると思うのです。